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那珂湊天満宮御祭禮 全日程 詳解[平成 27 年 9 月作成]

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はじめに

 那珂湊天満宮御祭禮は、水戸藩第2第目藩主徳川光圀公(水戸黄門様) が、旧暦8月朔日(1日)を祭礼の期間と定めたことにより、原則として 8月1日から4日間祭礼を行います。このことから「八朔祭り」ともいわ れます。現在では、新暦の8月の第一木曜日からの4日間が祭礼期間とさ れていますが、これは忙しい現代人に合わせた例外的日程ともいえるでし ょう。(過去には旧暦で行われたこともあります。) 那珂湊天満宮には氏子 22 町(旧町)があり、順番に祭礼の全てを取り仕 切ります。これが「年番」という制度です。時代の流れで「年番」を務め る力がなくなった町内が順番から外れ、現在では 16 町が務めます。 ここからはこの「年番」の氏子町を中心に、300 年以上頑なに守られてい る形式・儀式の手続きに焦点を当て、祭礼の全体像を明らかにしていきた いと思います。なお、時間は目安です。 
 

 
■那珂湊天満宮御祭禮 第1日 木曜日■
 
 年番町による「お宮参り」が行われます。各町の祭典事務所に祭礼の開 始を告げる挨拶をし、天満宮及び御旅所に参拝することを目的とします。 いよいよ那珂湊天満宮御祭禮が始まります。
 
 8:30 出発式 祭礼では、各氏子町内に「祭典事務所」が設置されます。 年番町の祭典事務所において、お宮参りの出発式が行われます。年 番町代表者の挨拶や、注意事項、全員で気勢を上げる町もあるようで す。
 
 8:40 お宮参り行列編成 出発式の後、お宮参り行列が編成されます。この様子は年番町の祭 典事務所前で見ることができます。
行列の順序は、おおむね次の通りです。

お宮参り行列

警護車 → 交通 → 前駆 → 先導車 → 行列案内 → 年番町印 → 拍子木・金棒 → 稚児・手古舞 → 付添い → 年番総員 → 総代 → 総指揮 → 救護車 → 運搬車
 
 警護車  行列が通行する道の安全確認

 交 通  行列及び一般車両の交通整理

 前 駆  行列の先導

 先導車  スピーカーを備え、行列通過の告知及び挨拶
 行列案内  行列の管理

 年番町印  年番の町印を掲げる

 拍子木  拍子木を打ち、行列の露払いをする

 金 棒  金棒を打ち鳴らし、行列の行く先の穢れを祓い清める

 稚児・手古舞  手古舞の金棒は、金棒引きと同じ役割 拍子木に合わせ、4歩で1回程度金棒を突く

 付添い  稚児・手古舞が子供である場合の付添い人 年番総員 年番町の総員が従う

 総 代  年番町の責任者

 総指揮  年番町の責任者

 救護車  長い道のりであるため、行列員の救護

 運搬車  飲食物、救急用品などの運搬
 

 9:00 出発 花火が打ち上げられ、お宮参り行列が出発します。 高く掲げられた年番町の町印が湊の夏空に誇らしく映え、金棒を 打ち鳴らす音で人々は祭礼の始まりを知ることでしょう。 行列は、最初にお宮参り出発の挨拶をするため,自町内を巡ります。 この時、先導車は次のようにアナウンスします。 「年番〇〇町、お宮参りのため出発いたします」
 
 平日ですが、人々は家や店舗の玄関先に出てきて、お祝いの言葉を 交し合い、見送ります。この時行列を見送る年番町の人々の誇らしさ は、また格別のものでしょう。 その後、自町内を出て、あらかじめ予定されている道順で、各氏子 町の祭典事務所に挨拶しながら、天満宮を目指します。

 
 他の町内を通過の際、先導車は次のようにアナウンスします。 「○○町の皆様、年番○○町がお宮参りのため、御町内を通過いた します。(お出迎えありがとうございます。)」
 
 このアナウンスによって行列が訪れたことを知った人々は、家々か ら出て、沿道で迎えます。道行く人々も足を止めて迎えます。
 
 何時頃にどこの町内を通過するのかをあらかじめ知るためには、年番町の 祭典事務所に問い合わせる(電話はないので、直接赴いて聞く。)ことにな ります。 また、他の町の祭典事務所では、少なくとも行列がその祭典事務所に挨拶 に訪れる予定の時間はわかっているはずです。 行列を追いかける形で見物することもできます。ただし、いかなる場合に おいても、行列に対する敬意を忘れないでください。
 
 各町祭典事務所 祭礼のために各氏子町に設置される事務所です。町内の名家の庭先 や空地にテントを張って設置するもの、空き店舗又は実際の店舗を事 務所として使用する町内もあります。 祭典事務所では、その町内の役員が羽織袴に祭り用麦わら帽子で待 機しています。 行列が訪れる時間帯には、その町内の人々も袢纏やダボなどの祭り 衣装で集まり、行列をもてなしてくれます。
 
 休憩 あらかじめ定めた祭典事務所で休憩をとります。休憩時間はおおむね10分から30分程度です。
 
 休憩する祭典事務所では、飲み物のほか、冷菓や梅干し、濡れたタ オルなどを提供することもあります。祭典事務所が地区の集会所など に設置されている場合は、冷房の効いた室内で休むよう案内すること もあります。町境まで地区の役員が数人でお迎えし、祭典事務所に案 内し、再度町境までお送りすることもあります。 休憩を終えて出発する時には、祭典事務所にいる町内の方々が整列 し、大きな拍手でお見送りすることもあります。
 
 休憩の予定のない祭典事務所では、年番町の代表者がご挨拶に出向 くのみなので、行列はその前を通過します。しかしその時も、祭典事 務所の人々は、整列し、帽子をとって最敬礼にてお迎えし,お祝いの 言葉を交し合い、お見送りします。
 
 本当に素晴らしい光景です。
 
 いずれにしても、どの祭典事務所からも行列に対する溢れる敬意が ひしひしと感じられ、大層なもてなしを受けることになります。
 
 天満宮到着 拍子木が3回打ち鳴らされ、参拝に訪れたことを報告します。 年番町の役員は、全員拝殿に上がり、参拝します。その他の者は、 境内にて休憩します。
 
 記念撮影 天満宮の境内にて、行列全員で記念撮影します。数十年に一度お努めする年番町の唯一の全体写真です。後世まで語り継がれる写真と なることでしょう。

 
 天満宮を出発 休憩の後、天満宮を出発し、再び各祭典事務所を訪問しながら、橿 原神宮及び御旅所を目指します。
 
 橿原神宮到着 那珂湊天満宮と共に、那珂湊の2大鎮守様である橿原神宮に参拝し ます。 年番町の役員は、全員拝殿に上がり、参拝します。 休憩の後、出発します。
 
 御旅所到着 祭礼3日目から始まる御神幸の目的地です。祭礼4日目の午前中、 神幸祭の最後に御神体を乗せた御神輿がお上がりになる場所で、天満 宮の飛び地境内とされています。 この地はその昔「那珂湊の高磯」という名のある磯があった場所で、 御旅所中央に見える岩は、高磯の先端部分であると推測されます。(昭 和の埋立てにより景色は一変しました。) 年番町の役員は、全員で参拝します。
 
 16:00 年番町の祭典事務所に帰着  お宮参り終了。行列の参加者に、飲み物やお土産が配られます。
 
 
 
 
 見どころは、行列そのものであり、誇らしく掲げる町印、行列を迎える町 の人々、稚児・手古舞の衣装、拍子木に合わせて突く金棒、神社などでの参 拝の様子などです。300年以上氏子の手により頑なに守り抜かれた祭礼の形 式・儀式が、今、まさに目の前で行われており、これこそを真の意味で“生 きた時代絵巻”と言うべきであって、この祭礼が進むにつれ、その要素はよ り際立ってくるのです。
 
 お宮参りの行列は、出会えることだけでも縁起が良く、幸せなことです。 行列に出会ったときには、是非足を止め、帽子をとって、道路の片側で出迎 え、見送ってください。 

 
 

 

■那珂湊天満宮御祭禮 第2日 金曜日■
 
 那珂湊天満宮において、全氏子町による例祭が行われます。 例祭とは、神社で行われる祭祀のうち、最も重要とされるもので、その 神社にとって最も由緒ある日に行われるものです。 那珂湊天満宮では、本祭り(御神輿を出す祭り)が行われない年であっ ても、例祭は行われます。
 
 17:00 各町様お迎えの儀 年番町が天満宮鳥居前に左右に並び、各町をお迎えします。各町か らは主に役員が参加し、手水舎においてお水掛けを行い、お清めをし てから、各町の総代が拝殿に上がり、その他は境内に整列し着席しま す。
 
 
 17:50 神社庁より献幣使が参向 神社本庁の地方組織である県神社庁より、那珂湊天満宮に奉献する 幣帛(へいはく)を供進するための使者が参向します。手に提燈を下 げ、狩衣姿の献幣使及び献幣使随員(付き人)が数名で歩いて来ます。 天満宮や馬場先の高張提燈と相まって、実に厳かな雰囲気です。鳥 居内では年番町の役員が両側に整列し、帽子をとって、頭を下げてお 迎えします。(幣帛とは、神に奉献するものの総称です。)
 
18:00 例 祭 開会の辞 年番町代表挨拶
 
 祭儀

1.修祓(しゅばつ) 祭典に先立ち、心身の罪や穢れを祓うこと。 お祓い。

2.宮司一拝(ぐうじいっぱい) 宮司と共に、各町は神前に礼を する。拝とは90度のお辞儀のこと。

3.御開扉(ごかいひ) 御神体が鎮座する御本殿の御扉を開くこ と。例祭の中で行われ、それ以外では宮司であっても勝手に開く ことは許されない。

4.献饌(けんせん) 御供え物を御神前にお供えすること。多数 の神職により、三方に乗せられた御供え物を手送りする。

5.宮司祭詞奏上(ぐうじさいしそうじょう) 宮司により祭詞が 奏上されます。(祭詞=祝詞)

6.献幣(本庁幣) 神社庁の幣帛(へいはく)を御神前にお供え する。

7.献幣使祭詞奏上(けんぺいしさいしそうじょう) 神社庁の献幣使により祭詞が奏上される。

8.玉串奉奠(たまぐしほうてん) 宮司及び献幣使が玉串を捧げ る。その後、各町が到着順に玉串を捧げ、最後に年番町が玉串を 捧げる。

9.撤幣(てっぺい) お供えした神社庁の幣帛を、御神前から下 げる。

10.撤饌(てっせん) 御供え物を御神前から下げる。

11.御閉扉(ごへいひ) 御神体が鎮座する御本殿の御扉を閉じる こと。

12.宮司一拝(ぐうじいっぱい) 宮司と共に、各町は神前に礼を する。拝とは90度のお辞儀のこと。

13.献幣使御神酒頂戴(けんぺいしおみきちょうだい) 献幣使が 御神酒を頂戴する。

14.献幣使退下(けんぺいしたいげ) 献幣使は任を終え、神社庁 にお帰りになる。

 
 閉式の辞

 

 祭儀の途中から徐々に日が落ち、例祭の灯りが天満宮を囲む木々の中に浮 かび上がってきます。空気が張りつめた極めて厳粛な空間で、100名を超え る氏子の人々が、儀式を進めます。この日の儀式こそが、那珂湊天満宮御祭 禮の核をなすものです。
 
 19:00 町印供奉順抽選の儀 「供奉(ぐぶ)」とは、御神輿のお供をすることです。 あらかじめ、くじを宮司に渡し御祈祷をします。その後くじを引き ますが、六町目、和田町、元町はくじを引きません。これはすでに供奉順が決まっているからです。六町目の獅子は、神幸行列では先頭を、 還幸行列では御神輿の後です。和田町の纏は町印の先頭、元町の弥勒 は、行列の最後尾です。
 
 年番町が各町の到着順に呼び出しを行い、全町が引き終わったら、 再び到着順に順番を確認します。年番町が町名を呼び上げ、各町が○ 番であると返答します。
 
 風流物供奉順抽選の儀 風流物の供奉順を決するために、くじを引きます。町印と同じ方法 です。(かつては風流物を出さない町内が町印をもって供奉していま した。そのため、風流物の間に町印が入っていたのですが、昭和に入 ってから全町が町印を出すことになりました。よって風流物はその後 を供奉することとなり、町印と同じ順番で供奉していました。しかし、 獅子を出す六町目が風流物を出す年に、常に番外となることに異論が 出たため、町印とは別に風流物の供奉順を抽選することになったよう です。)
 
 以上により、3日目と4日目の行列における町印の供奉順及び風流 物の供奉順が決定されます。 決定された供奉順は立札に記載され、翌朝に明神町と和田町に立て られます。 明神町と和田町は、どちらも供奉行列の出発点となる場所です。
 
 19:30 御神酒頂戴の儀 責任役員、六町目、和田町、くじで決した供奉順、元町、年番町の 順番で御神酒頂戴を行います。

 
 宮司納杯の後、次の年番引継ぎの儀に参加しない町は退下します。 退下に当たっては、年番町が鳥居内両脇に整列し、お見送りします。
 
 20:00 年番引継の儀 責任役員、両宮元町(釈迦町・元町)の立合いにより、下年番町(来 年の年番町)に年番の引継を行います。拝殿内の席順は次の通りです。
 
 
 拝殿 責任役員 宮司 年番 下年番 元町 釈迦町
 
 宮司が御帳箱を神前にお供えし、拝礼します。その後、御帳箱は宮 司から年番町の総代に渡されます。年番町の総代はこれをお受けし、 下年番町の総代にお渡しします。(年番町は、この年の祭礼を記録し なければならないので、下年番町より御帳箱をお預かりし、記録した 後、下年番町にお届けします。)
 
 御神酒頂戴の儀 年番町、下年番町、責任役員、釈迦町、元町、宮司の順に頂戴しま す。 これにて、責任役員、釈迦町、元町は退下します。 年番町は、鳥居内両側に整列し、お見送りします。
 
 神璽奉遷(しんじほうかん)の儀 年番町全員が着座し、年番町代表者と宮司により、御神輿に神璽を 奉遷します。
その後、宮司の指示により、御神輿を移動し奉安します。 この儀式の間、年番町は全員着座し、一切の言葉を発さずに祭儀の 終了を見守ります。
 
 21:00 年番町を代表して御礼の挨拶 年番町代表が、例祭が無事終了したことを宣言し、この日の全日程 が終了します。
 
 見物する場合は、例祭の妨げにならないよう、節度を持った行動をお願 いします。基本的に拝殿内で行われる祭事であるため、外からは雰囲気し かつかめませんが、境内に整列する各町役員向けに拝殿内の様子を大型ビ ジョンで映していますので、これで見ることができます。天満宮敷地外の 東側の坂道から、境内全域が見通せます。大勢の氏子役員が集まって古式 に則った祭儀を執り行う様は威厳と風格が満ち溢れ、圧巻です。 

 
 

■那珂湊天満宮御祭禮 第3日 土曜日■
これより神幸祭
 
 8:00 供奉順表示板の設置 各町供奉順表示板が和田町及び明神町に立てられます。 年番町は、和田町及び明神町の立会の元に設置します。
 
 (覚) 各町供奉順表示板 和田町

   (定) 各町供奉順表示板 明神町
 
    この日の17:30には明神町表示板前、翌日の18:00には和田町表示 板前から、年番町による呼び出しと共に、供奉行列が出発します。
 
 
 11:00 年番町が天満宮より緋綱を受取り、御神酒とサラシと共に、釈迦町 に届けます。この後に行われる祭儀の準備です。(お網掛けは、年番 町が釈迦町に依頼し、釈迦町が釈迦町若衆に依頼し、釈迦町若衆が行 う、ということが伝統となっています。)
 
 13:20 年番町は天満宮鳥居内で整列し、釈迦町・元町の両宮元町をお迎え します。(御神輿のお網掛けや御出社は、年番町は行えません。元町 の立会いの元、釈迦町が行います。)
 
 14:00 お綱掛けの儀 年番町総代が、釈迦町にお網掛けのお願いを、元町にお網掛けの立 会をお願いします。 祭儀 釈迦町若衆により、お綱掛けの儀 御神酒頂戴
 
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 17:00 各町の町印が明神町に集合し、供奉行列を編成します。     各町の風流物も明神町に集合し、出発を待ちます。 天満宮では、御神輿の出御のための祭儀の準備が進みます。
 
 17:30 高張堤燈が点灯(天満宮・御仮殿・御旅所)
 
 17:30 供奉行列が明神町を出発     花火が打ち上げられ、明神町に集合していた供捧行列が出発しま す。 明神町の供奉順表示板前では、出発に当たり、年番町により各町名 が次のように呼び上げられ、呼び上げと共に出発します。 「獅子六町目様、責任役員様、纏 和田町様、第1番町○○町様、 第2番町○○様、・・・・」 

 

    天満宮へ向かう供奉行列の順序は次の通りです。

供奉行列(明神町出発)

交通 → 前駆 → 行列案内 → 六町目役員 → 獅子 → 責任役員 → 纏 和田町 → 町印(各町役員)(供奉順) → 弥勒(元町役員) → 風流物(各町屋台)

 風流物は、明神町出発から供奉行列に供奉し進む間は、全ての屋台 が「四丁目」を演奏し、囃します。
 
 17:30 祭儀  天満宮では、御神輿の御出社に当たり、祭儀が行われます。 祭儀後、釈迦町若衆により、御神輿が出社します。
 
 御神輿は、天満宮境内の御中座に一旦奉安され、ここで宮司が御祈 祷します。(御神体及び拝殿は、享保年に現在の位置に遷されるまで、 この御中座の場所にありました。御神輿は、釈迦町により御中座に奉 安後、鳥居内で年番町に引き渡すことが伝統となっています。) 御祈祷後、釈迦町若衆により御神輿は御中座より大鳥居下で待機し ている台車に奉安されます。この間、釈迦町若衆がこの祭礼における 御神輿の最初の魂振りを行います。「魂振り」とは、担ぎ手全員で御 神輿を揺らすことで、神の霊威を高め、神を呼び起こし、魂を奮い立 たせようとする儀式です。御神輿を“揉む(もむ)”とも言います。
 
  17:45 御神輿引継の儀 御神輿が台車に奉安されると、釈迦町・元町の両宮元町により御神 輿の検分が行われます。 その後、両宮元町より年番町に御神輿の引継ぎが行われます。 御神輿の引継ぎを受けた年番町は、引継ぎの祭儀終了と同時に、御
神輿の前後左右を8名程で警護にあたります。
 
 17:50 出御行列編成 天神馬場先では、天満宮からの出御行列の編成をし、明神町を出発 している供奉行列が到着するのを待ちます。 間もなく、釈迦町方面から、供奉行列を先導する六町目獅子のお囃 子が聞こえてきて、極めてゆっくりと近づいてきます。その後方には 各町の町印が整然と行列を為しています。 (非常に印象深いシーンです。)
 
 18:00 出御行列が天満宮を出発 花火が打ち上げられ、出御行列が天満宮を出発します。 出御行列は、天神馬場先手前において供奉行列と合流し、いよいよ 神幸行列となります。この行列は全体で1km以上にも及ぶ壮大な行列 で、生きた歴史絵巻そのものです。 

 


 神幸行列が出発 行列の順序は、おおむね次の通りです。

神幸行列 

交通 → 前駆 → 行列案内 → 六町目役員 → 獅子 → 年番町印 → 拍子木・金棒 → 稚児・手古舞案内 → 稚児・ 手古舞 → 年番総員 → 年番高張提燈2灯 → 猿田彦大神 → 社名旗(天満宮) → 御鉾旗 → 神職狩衣 → 太刀神 職狩衣 → 笙・楽師七力・横笛 → 神職狩衣・奉幣 → 年 番高張提燈2灯 → 副斎主禰宣正装・傘 → 御紋高張提燈2 灯 → 御神輿 → 釈迦町高張提燈・元町高張提燈 → 宮司 正装・傘 → 天満宮責任役員 → 橿原神宮責任役員 → 和 田町役員 → 町印(各町役員)(供奉順) → 弥勒(元町役 員) → 風流物(各町屋台)    

 

道    順 

御殿町 → 壱町目本通り → 龍之口町 → 壱町目下通り → 弐町目本通り → 水門町 → 明神町 → 泉町 → 四 町目本通り → 五町目本通り → 六町目本通り → 七町目 本通り → 和田町 → ※1※2※3※4に分かれる

 

 ※1 御神輿及び稚児・手古舞は御仮殿に到着し、解散

 ※2 神職及び町印は和田町上通り→※A※Bに分かれる

 ※3 風流物は七町目で折り返して町渡しを再開  

  ※A 神職は海洋高校脇から御旅所へ  

  ※B 町印は和田町中通りを通過し、解散

   順路の都合上、神幸行列と風流物が交わる場所がありますが、行列 が通過するまで、風流物は鳴り物を鳴らさないことになっています。

 
 七町目の交差点を右折後、神幸行列は3方向に分かれます。

 ①御仮殿 ②御旅所 ③和田町中通り
 各行列の順序は次の通りです。

 

①御仮殿へ向かう行列

交通 → 行列案内 → 稚児・手古舞 → 年番総員 → 御紋 高張提燈2灯 → 御神輿 → 釈迦町高張提燈・元町高張提燈 → 宮司正装・傘 → 天満宮責任役員 
  

②御旅所へ向かう行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 年番高張提燈2灯 → 猿 田彦大神 → 社名旗(天満宮) → 御鉾旗 → 神職狩衣 → 太刀神職狩衣 → 笙・楽師七力・横笛 → 神職狩衣・奉幣 → 年番高張提燈2灯 → 副斎主禰宣正装・傘
 
③和田町中通りを通過し、解散する行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 六町目役員 → 獅子 → 年番町印 → 拍子木・金棒 → 橿原神宮責任役員 → 和田町 役員 → 町印(各町役員)(供奉順) → 弥勒
 

 


 19:00 御仮殿に到着 御仮殿へ到着した行列の稚児・手古舞は金棒をつきながら、年番係 員とともに御仮殿前の両側に整列し、御神輿をお迎えします。 御神輿は御仮殿に奉安され、御神酒頂戴の儀の後、解散となります。

 19:00 御旅所に到着 御旅所にて祭儀の後、解散となります
 
 19:00 和田町中通りを通過、解散 翌日の還幸行列の出発点となる和田町中通りを通過し、解散となり ます。
 

 御神輿は御仮殿(魚市場前)に奉安された時から、御前に賽銭箱が設置さ れ、翌日還御なさるときまで(お浜入り・御幸時を除く。)一般の参拝をお 受けになります。夜に行 われる屋台のお囃子を見 物に来た場合でも、御仮 殿は本通りから100メー トル程度とすぐ近くです ので、是非ご参拝いただ ければと思います。  また、神幸行列の最後 尾に供奉し、囃したてて いた各町の屋台は、和田 町の交差点で行列を離れ て折り返します。その後 は22:00頃までメインス トリートで娯楽・芸能を 披露し、町の人々と共に お祭り騒ぎとなります。 各町が誇りを賭けて飾り 立てた伝統的で豪華で、 個性的な屋台は、夕闇の 中で多彩な光に包まれ、 昼間とはまた異なった顔を見せます。そして、それが連なって運行される様 は、見る者を夢の中の世界に誘い込んでいきます。 
 

 

 

■那珂湊天満宮御祭禮 第4日 日曜日■
 
 4:15 早朝、年番町が御仮殿前に整列し、お網外しを奉仕する釈迦町若衆 及びお網掛けを奉仕する和田町若衆をお迎えします。
 
 4:30 御神輿お網外しの儀 釈迦町若衆が、御仮殿にて緋色のお綱外しを行います。 釈迦町若衆により、御神輿は御仮殿を出て注連縄の内に移動し、奉 安されます。
 
 5:00 御神輿お網掛けの儀 和田町若衆の奉仕により、御仮殿前にてお網掛け及びサラシ巻きが 行われます。(一説には、神様が海に入るためにサラシを巻くのだ、 と言われています。) お綱掛後、御神酒を御神輿の上にお供えします。
 
 5:40 御神輿引継の儀 宮司によるお祓いの後、年番町より、和田町へ御神輿の引継ぎが行 われます。 和田町により手打式が行われ、和田町若衆代表が御神輿に御神酒を おかけします。
 
 御神酒頂戴の儀 和田町総代、年番町総代、責任役員の御神酒頂戴を行います。 続いて、和田町役員、和田町若衆頭、年番町、担ぎ手の順に御神酒 頂戴を行います。
 
 
 6:00 御仮殿を出発する     花火を合図に、御神輿が御仮殿を出発します。お浜入りは和田町が 奉仕します。(近年は人手不足に対応するため、和田町より各町数名 の応援を依頼しているようです。)
 
 御神輿お浜入り
 
    褌(ふんどし)にサラシを巻いた 100 名近い和田町をはじめとす る若衆により、御神輿が海中に沈められ、荒々しく揉まれます。御 神輿の海中渡御は全国にいくつか例があるようですが、御神輿の姿 が完全に見えなくなるまで沈められるのは珍しいのではないでしょ うか。

 

 御神輿はお浜入り後、魂振りをしながら御幸します(暴れ神輿)。 「魂振り」とは、担ぎ手全員で御神輿を揺らすことで、神の霊威を高 め、神を呼び起こし、魂を奮い立たせようとする儀式です。御神輿を “揉む(もむ)”とも言います。 御神輿は、牛久保町及び和田町を御幸し、旧お腰掛けへ。
 
 お浜入りする海岸には、5時頃から続々と見物人が集まり、5:45 頃には 鈴なりです。御仮殿での祭儀を見物してから御神輿と共に移動すると、お 浜入りは人山の後方から見ることとなってしまうのが悩み所です。  お浜入り後、御神輿が御幸(暴れ神輿)で移動するスピードはかなり速 いので、覚悟しておいてください。なお、御神輿の魂振り(揉む)時の掛 け声は、一般的な「わっしょい」ではなく、「大漁(たいりょう)」です。 実に湊町らしい、粋な掛け声ですね。


 7:30 旧お腰掛けに奉安 旧お腰掛け(海洋高校前)に御神輿を奉安し、休憩となります。 この場所は、700年以上前に海から御神体が現れ、最初に鎮座した 場所(お腰掛け)とされています。後の海岸の改修や道路整備などに より、昔の趣の一切を失ってしまいましたが、最初に鎮座したと伝わ る石は「お腰掛けの石」として現存しています。なお、現在では御神 幸の目的地の聖域は他に整備されていますが(御旅所)、この旧聖域 にも一時奉安され、祭儀が執り行われるといった律儀で徹底した伝統 が貫かれています。
 
    休憩後、御神輿は氏子町内へ御幸します。     各所において魂振りを行い、沿道からは水掛けが行われます。
 
 御神輿の担ぎ手や年番員などが、首や腕に細く千切り取ったサラシを身に 着けている姿を見ることが出来ます。このサラシは縁起物とされ、お浜入り した御神輿に巻かれていたものですが、一般には入手は困難です。そこで、 これとは別に祈祷したサラシが配られる場合があります。3日目出発前の天 満宮、4日目出発前の年番事務所などです。(年番町によって異なるので注 意が必要です。)
 
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
 
 10:00 御神輿が御旅所にお上がり 御神輿が到着する前に、御旅所中央注連笹竹が撤収され、年番町が 御旅所に整列し、御神輿をお迎えします。 御神輿が御旅所にお上がりになり、中央に奉安されます。 年番町、責任役員、和田町、担ぎ手が整列後、和田町若衆代表により御神輿をお洗いします。 和田町若衆代表により御神輿に御神酒をお掛けし、御神輿の上に、 御神酒をお供えします。

 
 御神輿引継の儀式 宮司による御祈祷後、和田町より年番町へ、御神輿の引継ぎが行わ れます。 和田町による手打ち式が行われます。
 
 御神酒頂戴の儀 和田町総代、年番総代、責任役員の順に御神酒頂戴をします。 続いて和田町役員、和田町若衆頭、年番町若連代表、担ぎ手の順に 御神酒頂戴を行います。
 
 その後、年番町により、一般の方に御神酒頂戴が行われます。(一 般の方が御神酒頂戴できる機会はこの時しかありません。)
 
 10:30 御旅所出発 御旅所前にて還御行列が編成され、御神輿は御仮殿へ向かう。
 
 行列の順序はおおむね次の通りです。

御旅所から御仮殿への行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 年番町印・拍子木・金棒 → 年番総員 → 年番高張提燈2灯 → 猿田彦大神 → 社名旗 → 御鉾旗 → 神職狩衣 → 太刀神職狩衣 → 笙・薬師七 力・横笛 → 神職狩衣・奉幣 → 年番高張提燈2灯 → 副 斎主禰宣正装・傘 → 御紋高張提燈2灯 → 御神輿 → 釈迦町高張提燈・元町高張提燈 → 宮司正装・傘 → 責任役員 → 和田町役員 → 獅子 → 交通    

 

道  順

和田町中通り→本町中通り → 県道左折直進→御仮殿

 
 11:00 還御行列が御仮殿に到着 年番町は御仮殿前にて両側に整列し、御神輿をお迎えします。 責任役員、和田町、年番町の順で御神酒頂戴をします。
 
 12:00 お綱掛け替え 年番町が御仮殿前に整列し、お網外し及びお綱掛を奉仕する釈迦 町若衆をお迎えします。
 
 御神輿お網外しの儀 釈迦町若衆は参拝後、御神輿お綱掛けのお綱外しを行います。(外 したお綱は年番町により和田町に届けられます。)
 
 御神輿お網掛けの儀 釈迦町若衆の奉仕により緋のお綱掛けが行われます。
 
 御神酒頂戴の儀 年番町代表挨拶の後、御神酒頂戴が行われます。
 
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ 
 

 

 これより還幸祭
 
 17:00 各町の風流物が和田町に集合し、出発を待ちます。 17:30 各町の町印が和田町に集合し、供奉行列を編成します。 御仮殿では、御神輿の還御のための祭儀の準備が進みます。
 
 17:50 還御行列が出発 宮司によるお祓いの後、還御行列が御仮殿を出発します。 還御行列の順序はおおむね次の通りです。

還御行列 

交通 → 前駆 → 行列案内 → 拍子木・金棒 → 年番 町印 → 稚児・手古舞 → 年番総員 → 年番高張提燈2灯 → 猿田彦大神 → 社名旗 → 御鉾旗 → 神職狩衣 → 太刀神職狩衣 → 笙・薬師七力・横笛 → 神職狩衣・奉幣 → 年番高張提燈2灯 → 副斎主禰宣正装・傘 → 御紋高張提燈 2灯 → 御神輿 → 釈迦町高張提燈・元町高張提燈 → 宮司正装・傘


道  順

御仮殿 → 魚市場前交差点右折 → 寿三角屋左折 → 和田町

 

 18:00 高張堤燈の点灯 天満宮内高張堤燈、馬場先入口高張堤燈等全ての御神燈が点灯しま す。
 18:00 還幸行列が出発 花火が打ち上げられ、和田町中通り前にて還御行列と供奉行列(町 印及び風流物)が合流し、還幸行列となり出発します。
 
 和田町の供奉順表示板前では、出発に当たり、年番町により各町名 が次のように呼び上げられ、呼び上げと共に出発します。 「責任役員様、獅子六町目様、纏和田町様、第1番町○○町様、第 2番町○○様、・・・・」(風流物の呼び出しはありません。)
 
 行列の順序はおおむね次の通りです。

還幸行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 拍子木・金棒 → 年番 町印 → 稚児・手古舞 →年番総員 → 年番高張提燈2灯 → 猿田彦大神 → 社名旗 → 御鉾旗 → 神職狩衣 → 太刀神職狩衣 → 笙・薬師七力・横笛 → 神職狩衣・奉幣 → 年番高張提燈2灯 → 副斎主禰宣正装・傘 → 御紋高 張提燈2灯 → 御神輿 → 釈迦町高張提燈・元町高張提燈 → 宮司正装・傘 → 責任役員 → 六町目役員 → 獅子 → 和田町役員 → 町印(各町役員)(供奉順) → 弥勒 (元町役員) → 風流物(各町屋台)


道  順

和田町 → 七町目 → 四丁目交差点直進 → さのや金物 店右折 → 藤屋ホテル右折 → すみよし左折 → 元町 → 天満宮
 
 
 還幸行列は、一歩に5秒をかけるくらいゆっくりと歩みを進めます。
 風流物は、和田町中通り出発から、還幸行列に供奉し進む間は、全 ての屋台が「鎌倉」を演奏し、囃します。
 
 18:40 天満宮へ到着 還幸行列が天神馬場先天満宮大鳥居外に到着、釈迦町、元町、年番 町は天満宮橋の内側に整列し、お迎えします。
 
 稚児・手古舞、年番総員は天満宮橋を渡らずに境内へ入ります。
 
 御神輿の見定め 年番町総代により、釈迦町・元町の両宮元町に、御神輿の見定めを お願いし、御神輿の見定めを行います。
 
 御神輿引き渡しの儀 年番町から釈迦町・元町の両宮元町に、御神輿が引き渡されます。
 その後、釈迦町により御神輿が御中座に奉安されます。
 
 御中座にて御神輿を御祈祷した後、釈迦町により御中座から天満宮 拝殿に御神輿をお移しし、奉安します。
 
 お網外しの儀 釈迦町により、御神輿のお綱外しが行われます。
 
 神璽奉遷の儀 宮司・神職により神璽奉遷の儀が執り行われ、御神体は御本殿にお 戻りになります。
 
 御神酒頂戴の儀 各町の御神酒頂戴が行われます。
 
 供奉行列編成、出発 明神町への行列が編成され、出発します。

天満宮から明神町への行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 責任役員 → 六町目役員 → 獅子 → 和田町役員 →町印(各町役員)→ 弥勒(元 町役員) → 交通

 
 お見送り 天満宮にて明神町への行列をお見送りした年番町は、直ちに明神町 供奉順表示板前に移動し、神幸祭時整列と同様に整列し、各町をお見 送りする準備に当ります。
 
 明神町供奉順位表示板前では、年番町が左右に整列し、行列が通過 するに当たり各町名を次のように呼び上げます。

「責任役員様、獅子六町目様、纏和田町様・・・」
 
 この呼び上げをもって、供奉行列が明神町に到着、祭礼終了となり ます。各町はこれで解散となるので、年番町は整列し、帽子をとって 各町の労をねぎらい、お見送りします。
 
 年番町は各町のお見送り終了後、天満宮に集合の上、参拝し、御神 酒頂戴を行います。
 
 年番町、天満宮を出発 天満宮を整備した後、事務所へ帰るための行列が編成されます。

天満宮から年番町祭典事務所への行列

交通 → 前駆 → 行列案内 → 町印 → 年番総員
 
 年番町の祭典事務所に行列が到着したら、年番総代の挨拶があり、 これをもって那珂湊天満宮御祭禮は全て終了です。
 
 
 
 
 
 風流物(屋台)は前日同様、22:00頃までメインストリートで囃しますが、 その後は各町内に戻り「曳き別れ」を迎えます。 この時、どこかの町内の屋台に最後までついていくことをお勧めします。 お気に入りの屋台を見つけてもいいですし、芸妓衆が乗る屋台があれば、そ れについてい くのもいいで しょう。(芸妓 の三味、太鼓は さすがに味が あります。) 各屋台は、自 町内に戻った 後、その速度を 落として極め てゆっくり進 みます。屋台蔵に向かう道中では、どこの町内の屋台でも「本町二丁目」が 演奏されます。この曲には歌詞があり、屋台上の者と屋台を引く者、町内の 者の全員で、これを朗々と歌い上げながら進みます。 屋台蔵の前に到着すると、名残を惜しみ、屋台を蔵に入れまいとする者ら によって、屋台を押し戻す姿が見られます。それもいずれは決着し、最後、 屋台上で「千秋楽」を一指し舞って終了となります。 ちなみに、那珂湊の屋台は全て生演奏で、録音の類は一切使用しません。 屋台に三味線があるのは珍しいと思いませんか?
 
※ 那珂湊に電線が整備される明治時代以前は、山車でした。その頃の名 残りで、現在でも屋台のことを山車と呼ぶことがあります。

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